沿革

昭和21年
初の卒業生を輩出するが当時母校は千歳高等女学校という校名であったので「ちとせ会」と命名され会員数122名。初代会長は初代校長高橋彦三郎校長がなり、またこの年には同窓会主催で書道会を行っている。

昭和24年
千歳女子新制高等学校は、新制第一回卒業生を25名出したことにより「ちとせ会」の会員は433名になる。またこの年併設中学校の卒業生401名も加え会員数は859名となった。

昭和27年
元々女子高であった母校から初の男子卒業生11名が卒業した。これは昭和24年から男女共学となった第1回の男子卒業生であったが、この中に二代会長遠矢徹氏(昭和33年~昭和41年在任)や3代会長山西敏雄氏(昭和42年~昭和63年在任)がいる。

昭和28年
母校二代校長木村武雄氏により「ちとせ会」は改称されて「丘友会」となる。この年からは男女ほぼ同数の卒業生を輩出し会員数は1,136名となった。

昭和30年
この年は母校体育館建設の年であり、学校・PTAと共に「丘友会」1,857名にも寄付を求める主旨で「体育館建設基金募集趣意書」が発送された。

昭和32年
母校体育館で第1回同窓会総会をおこなっている。会員累計1,941名。また 年に高等学校から併設中学校を含め新制第9回卒業生迄を収めた初めての「丘友会」名簿がA5版で完成した。

昭和37年
本名簿1962年版が発行される。この表紙の「丘友会」の文字は第4代校長八木林平氏の揮毫によるものである。会員総数3,743名。

昭和40年
会報にて新旧会員の連絡を諮るべきとの意見があり、7月1日「丘友会」会報第1号が発刊された。秋山欣次郎氏(第17期卒)が連絡の任にあたる事が決定した。

昭和41年
ベビーブーム第1波の卒業生出た年で460名(第18期)という多数の会員を迎え会員数5,101名に達した。初代事務局長に堀肇氏が着任し会計、会報、名簿の各係がおかれ又この年「丘友会」会則改正原案が作成され5月22日の総会で原案が承認された。

昭和42年
任期切れに伴い第二代会長山西敏雄氏、副会長喜多二郎氏、同鈴木千賀氏が新たに選ばれ5月28日の総会で正式に承認された。同年会報第3号発行。

昭和43年
「丘友会」会則改正原案は5月19日の総会に於いて承認された。多少財政にも余裕が出てきたので慶弔費制度が実施される事になった。会員数6033名。

昭和44年
会報第5号発行、当時の調査では会員の98%の人が会報を読んでいる事がアンケートで明らかになった。事務局内部で母校30周年を3年後に控えて「30年史編纂特別委員会」が発足し、委員長に秋山事務局長があたることになった。

昭和45年
会員数の激増の伴い総会での幹事の仕事が増えた為会場をホテルに求め同年の総会は赤坂プリンスホテルにて催行しこの総会で任期切れとなる会長等は再任された。

昭和47年
6月25日 赤坂プリンスホテルでの総会も3回目となり同年卒業生を加え、会員数7,789名となった。
9月30日「30周年記念誌」発行された。

昭和54年
会員数も大台を突破し、10.171名に達した。

昭和63年
12月4日 会長を含む人事が交代し加藤春生氏(第7期卒業)が第4代会長に就任する。同年10月29日総会後本山校長より役員会に対し活動の在り方について会費の大部分を年1回の総会で消費するのは如何なものかとの指摘があり、更に新任の明比校長からも同様の指示を受けこの問題が解決されない限り新卒業生からの会費代理徴収を止めざるを得ないとの発言を受け同窓会活動と休止という苦渋の選択をとらざるを得ない立場となり平成8年迄活動を休止するに到った。

平成3年
会員数15、260名。

平成4年
母校は創立50周年を迎え「50周年記念誌」が発行される。

平成9年8月
事務局機能を失った同窓会活動の再開を参与の先生より促されその中で笠原建一氏(7期)安原喜孝氏(7期)前会長山西敏雄氏及び名誉会長も交え拡大準備会が開かれ暫定準備委員会を発足させた。

平成10年
再開第1回の総会を母校会議室で開催し、諸案件の議決を行い、特に会費改正について新案を示し承認された。

平成13年
3月、再開第2回総会を伊勢丹プチモンドで開催した。会費を5年で2,000円から3年に2,000円に改訂し、承認された。会員数も17,000名に達し、これに対する会報の印刷代及びその郵送費を莫大なものとなっている為今後は会費納入者のみに情報提供を行う事とし、総会に於いて第2号議案として審議し承認を得た。

平成14年
母校は創立60周年を迎え今迄記念誌の発行のみであったが今回は記念祝賀会が学校長、中学校長、PTA関係者等も招き盛大に母校でおこなわれた。同窓会もその準備の大いに協力した。又、この年都教委の指導により同窓会への加入は希望者のみの任意加入制となり卒業時に学校の代理一括徴収は不可能となった。この事業の対し同窓会としては2月位に全卒業生に対して文書を配布し会長が出向いて加入の勧誘を行い、15年3月に卒業する生徒220名中76%の加入を得た。

平成15年
復刊第5号会報に於いて兼ねてより準備していたホームページ開設についてURLを取得した。www.gaoka.jp(現在はchitosegaoka.jp) である。又同時に同窓会活動の停止の提案が成された。これは加藤会長の職責の多忙化及び笠原事務局代行の健康上の問題の伴う事務局閉鎖に到る事態が予想される事等の理由があり、これは平成16年の新卒業生から加入勧誘の一時停止を役員会が決め3月28日の臨時総会に上呈することにした。しかし総会後の経過措置として丘友会会報の発行(復刊8号、9号、10号)及び丘友会ホームページの開設・維持運営は原資が有る限り行うとすることとする。

平成18年
年度末迄に新役員体制が発足しなかった場合で且つ丘友会に全員の残金が生じた場合は妥当な機関に寄付を行い、清算を行う。いずれにせよ総会の議決が注目される。

平成16年
3月 卒業生累計18,326名。

平成19年
会報・通巻34号発行。本年新入生より、男女共標準服となる。
「第15回丘友会総会」11月に市ヶ谷アルカヂィアにて開催

平成20年
会報・通巻35号発行。同窓会沿革年表編集完了。ホームページ改正