丘友会の歴史

我が母校は本年(平成19年)を持って、創立 64周年をむかえました。また、同窓会も61周年をむかえました。
ここに、同窓会の歴史を省みたいと思います。
我校は昭和17年(1942年)神宮外苑・青山師範学校付属国民学校跡地に「東京府立 第19高等女学校」として創立。翌18年には校名を「東京都千歳高等女学校」と改名。

19年、20年は、第二次世界大戦が激しくなり、学校も閉鎖。
昭和21年に「東京都立芝高等家政女学校」を統合。この年、初めて卒業生121名を送り出しました。これがすなわち、高女1期生です。
この卒業生をもって、同窓会「ちとせ会」が発足、初代同窓会会長には、母校の高橋 彦三郎 校長が兼務。
23年には、戦争にて卒業が遅れた、高女2期生、3期生が卒業。また学校も、現在地である 世田谷区船橋町 225 に新校舎が落成し移転。校名も「東京都立千歳女子新制高等学校」と改名。

昭和24年(1949年)4月、男女共学となり、男子生徒 11名、女子生徒150名が入学。この年に、「都立千歳女子新制高等学校」第1回卒業生を送り出す。これが、高校 1期生である。
この年、同窓会誌「ちとせ」創刊号を発行。同窓会会長も、高橋 彦三郎 校長より、木村 武雄 校長が2代目会長となる。
昭和25年(1950年)、校名も「東京都立千歳女子新制高等学校」より、現在の「東京 都立千歳丘高等学校」に改名。
28年、「ちとせ会」を「丘友会」と改名。
31年、同窓会会長も、木村 武雄 校長より小川 定胆 校長が3代目会長 に就任。
33年(1958年)「第1回丘友会総会」が開催され、同窓会会長も、現役校長より卒業生に変り、初めて第4代目会長に、遠矢 徹(高校 4期生)が選出された。翌 34年には、第1回「丘友会会員名簿」が作成される。

昭和40年(1965年)、「丘友会会報」第1号を発行。42年「第3回丘友会総会」が母校体育館にて開催され、遠矢 徹会長より、第5代目会長として、4期生の山西 敏雄 を選出。

昭和47年、母校が創立30周年をむかえる。山西会長が、昭和42年より平成元年までの23年間会長を努めていたが、引退。
平成2年より平成8年まで、会長不在となり、同窓会活動も停止となった。
平成9年「丘友会」活動が再開され、暫定準備委員会を設立。委員長に7期生・加藤春夫 が就任。
翌10年「第11回丘友会総会」が母校会議室にて開催され、第6代目会長に加藤 春夫委員長が就任する。

平成14年、母校が創立60周年をむかえる。

平成15年、ホームページを開設。

平成16年3月、丘友会臨時総会が開催され、事務局の衰退と役員の減少により同窓会が解散となる。同4月、新しく再開準備委員会が発足し、委員長に12期生・南 貞章 が就任。1年半の時間を掛けて、事務局の建直し、会則の全面改訂、各委員会の設立 等を行い、17年10月「同窓会・丘友会」を再開、母校食堂にて「第14回 丘友会総会」を開催。ここに12期生 南 貞章 が7代目会長となる。18年、同窓会沿革年表 の編纂業務に入る。
以上が、同窓会・丘友会の歴史であります。なお、同窓会沿革について、その詳細はこの ホームページに載せてありますので、ご覧ください。